『正統の哲学 異端の思想』
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〔副題〕 「人権」「平等」「民主」の禍毒
〔著者〕 中川八洋(筑波大学教授)
〔シリーズ〕 -
〔出版社〕 徳間書店
〔発行年〕 1996-11-30
〔ページ〕 358頁
〔ISBN等〕 4-19-860619-6
〔価格〕 本体1900円+税(1,995円)
〔箱・帯〕 箱:なし 帯:あり
〔体裁〕 四六判 19.5cm×13.8cm ハードカバー
〔図表〕 あり
〔注記〕 (1)「文献リスト─「悪書」の過剰と「良書」の欠乏」350~358頁
〔分類〕 図書
〔備考〕 標題ウラに、以下の献辞あり。
《本書を、バーク、トックヴィル、チャーチル、ハイエク、孔子の、五哲人の霊に捧げる。》
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目次
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はじめに 2
第一部 総論──真正自由主義離脱の代償 13
第一章 近代がうんだ「反・近代」──全体主義の源流フランス革命 15
第二章 「進歩」という狂信 35
第三章 真正自由主義(伝統主義、保守主義) 52
第二部 各論──隷従の政治か、自由の政治か 87
第四章 「平等教」の教祖ルソー ──全体主義と大量殺戮の起源 89
第五章 フランス革命──人類の「負の遺産」 121
第六章 「大衆」──全体主義の母胎 167
第七章 「人権」という狂信──全体主義への媚薬 209
第八章 迷信の「国民主権」、反・人民の「人民主権」 225
第九章 「進歩」の宗教、「進化」の神話 258
第十章 平等主義──自由抑圧の擬似宗教 299
終 章 伝統・権威と自由の原理──保守する精神 329
文献リスト──「悪書」の過剰と「良書」の欠乏 350
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著者略歴
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中川八洋(なかがわ・やつひろ)
筑波大学教授(国際総合学類)。
昭和20(1945)年、福岡県生まれ。
昭和42(1967)年、東京大学工学部航空学科宇宙工学コース卒。スタンフォード大学政治学科大学院を経て、昭和55(1980)年、筑波大学助教授となり、昭和62(1987)年より現職。
比較政治学・比較憲法学、近代政治哲学、国際政治学、軍事戦略理論、国家安全保障政策、ロシア論、外交史など、多方面に幅広い造詣を有し、言論界・出版界で活躍を続ける。
著書には、『日本政治文化論』『超先進国日本』『現代核戦略論』『核軍縮と平和』『ゴルバチョフの嘘』『新・日本国憲法草案』『蘇るロシア帝国』『政治改革の非常識・常識』『近衛文麿とルーズヴェルト』ほか、多数がある。
訳書には、『ソ連核戦争戦略』『ソヴィエト海軍戦略』などがある。
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所蔵
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国立国会図書館 あり(請求記号:HD1-G13)
http://iss.ndl.go.jp/
都立中央図書館 あり(請求記号:3110/ 3082/ 96)
https://catalog.library.metro.tokyo.jp/winj/opac/search-detail.do?lang=ja
都立多摩図書館 あり(請求記号:3110/ 3104/ 96)
https://catalog.library.metro.tokyo.jp/winj/opac/search-detail.do?lang=ja
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情報元
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他文献
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備考
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・刷情報; 第3刷1997年3月10日、第6刷2000年7月20日
・装丁; 多田進
・著者略歴中、『蘇るロシア帝国』は『蘇えるロシア帝国』のあやまり。
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内容
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《本書執筆の動機は、ソヴィエト帝国が崩壊したあの一九九一年十二月二十五日、テレビの画面からであったが、モスクワのクレムリンの塔から鎌と金槌の赤旗が降ろされ、旧ロシア帝国の三色旗がするすると掲揚されていくその光景であった。(中略)そして、翌四月から本書(旧題『自由社会の病巣』)の作業を始めたが、終わったのは一九九六年三月であった。思いもかけず丸四年という歳月が経っていた。》 (『正統の哲学 異端の思想』5・6)
《本書〔『蘇えるロシア帝国』〕は一九九一年一二月二五日(モスクワ時間)のソ連邦の消滅という歴史的な日に書き始めたものだが、三カ月ほどで脱稿できたのは、ひとえに学研の白倉紘一氏、月岡廣吉郎氏の激励によってであり、ここに心からの御礼を記しておきたい。》(『蘇えるロシア帝国』11)
《中川 日本では、自由を正しく守ろうとする偉大な歴史上の思想家の学説を歪曲するために、その研究をするものが多いのです。ハイエクに関する誤った解釈の方が日本では多数説となるのはこのためです。
一方、反文明などの狂った思想家に関する日本の研究者は、それをお化粧し直してあげて、全く逆さに解釈するのを仕事にしています。例えば、中江兆民からすでに数百人に及ぶ、日本のルソー研究者の中で、ルソーの思想をルソーの真意のままに解釈したものは一名もいません。私の『正統の哲学 異端の思想』が日本では、ルソーの言説どおりに忠実に論考した最初の哲学書です。つまり、日本では、ルソーについて歪曲の限りを尽くした解釈をするためにルソーの専門家になるのが通例です。そして、正しく解釈したものに対して「間違った解釈をする!」と中傷し貶めるのが、これらの専門家の学究生活の大切で重要な仕事になっています。》(『教育を救う 保守の哲学』23・24)
《渡部〔昇一〕 ― 一九九六年、中川さんがルソー研究者として鮮やかにデビューしたのは、日本の左翼学界にとって、本当に衝撃的な奇襲攻撃でしたね。本格的なルソー批判は、イギリスのバークのルソー批判に遅れること二百年ではあっても、日本では中川さんが最初というのは、功績です。》(『皇室消滅』180)
《四年の歳月をかけ、デカルト以降の哲学書とそれらの研究書を約三千冊ほど読破し、日本人学者では戦後初のルソー批判をも含む『正統の哲学 異端の思想』を出した。一九九六年であった。》(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』267)
《しかも、ルソー批判は、明治維新以降、日本では、『皇室典範義解』の著者で初代内閣法制局長官の井上毅と私(中川八洋)のほぼ二名しかおらず、これでは日本人がルソーに汚染されるのは必然であろう。》(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』259)
《井上と中川が、憲法思想における親子関係にあるのは、ルソー批判においてもはっきりしている。日本で最初のルソー批判者は井上毅で、戦後日本でのルソーの本格的批判者は中川である。そして、両者以外、(井上毅の股肱で明治憲法の起草に携わった金子堅太郎を除けば)日本でルソーを批判した知識人は不在である。》(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』264)
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更新履歴
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2013-05-25